About Vibes

何かをかいてあるんだろうね。

SNSワイドショー

TVのワイドショーを批判して「マスゴミ」という人がSNSで真偽が怪しい情報を発信、拡散する。
海外では●●だという人、その情報はどこから得たの?
ネットから?SNSで信頼出来る知り合いが発信していたから?

地震という災害時に怪しい情報を無駄に拡散しないようにねってSNSで知ったのに。

地震の時は自分には直接関係なかったからなの?

コロナだと恐怖が目の前にあるからなの?

しないよりマシがしなきゃいけないになって人に強要しちゃうの?

黙っていろってことじゃないよ。

不満も文句もあってそれを必要な時に伝えたいなら、有事の際に変なこと言っていた人だと説得力がなくなるよ。

変なこと言っていた人が言うことだから逆に信用できないって、いざ逆転の時にブーメランとなって足を引っ張るよ。

 

 

P-world パチンコチャット

お題「思い出のWebサービス」

パソコンを触る人

僕のネットライフはここから始まった。

今でもオンラインでコミュニティを求めているのはこれが原点だったからかもしれない。

時代は遡ること約20年 2001年頃のお話

当時、僕は大学生となり北海道のある場所でひとり暮らしを始めていた。
順風満帆とはいかないが、本当にそれなりの大学生をしていたと思う。
ほどほどに遊び、ほどほどに勉強をし、慣れない家事をこなし、掃除も洗濯もこの当時の頃から苦手だった。
(この経験のおけでルンバを買うことに抵抗がなかった)

アルバイトをする

喫茶店でアルバイト

生活をするには足りるくらいの仕送りがあったものの、バカな男子大学生はすぐに使い切り、仕送り入金日10日前には毎日お茶とセブンイレブンで買ったゴボウサラダを食べるだけの生活をしていた。
周りの友人も同じ様な生活をしていた為、「お金がない」が口癖のようだった。
中にはお金を持っている友人が何人かいて当たり前のようにアルバイトをしていたのだ。
学業が忙しいからと自分に嘘をつきアルバイトをしていなかったが空腹には勝てずアルバイトを探すことに。
そこで母に相談をすると「飲食店なら賄いがあるから死ぬことはない」と聞き近所にある喫茶店で働くことになる。
幸いある程度の料理スキルがあったので厨房で働くことになった。

車をゲットする

アルバイトは基本的に学校が終わってから行ける18時から23時くらいまでだった。仕事にも慣れ大体のことを何となくすごしていた日常に何となくこなすアルバイトが追加されただけであった。
もちろんお金に多少は余裕が出たけれど多い月でも5万円くらいしか稼げていない、食費は多少減ったがまだまだ遊び倒せる金額ではなかった。
そんなある日アルバイト先の社長に声をかけられた挨拶程度しかしたことがなかったので内心結構驚いていて話を聞いた。細かい言葉は覚えていないが「車を乗り換えるんだけど車検まで1年ある車いる?お金はいらないよ」
迷うことなく僕は「下さい」と返事をした。

広がる行動範囲

車があればどこにだっていける、ちょっと遠くのスーパーにだった、夜遅くにやっているファミレスだって行ける。毎日の様にドライブをしていて、そこで気づいてしまったことがある「近所じゃなくても働ける」ということに。
そして掛け持ちをすればもっとお金を稼げることに。
そこで色々とアルバイトを探していた、そんな時に大学の先輩からラクな仕事があると聞き詳しく聞いてみることに。

ラクで稼げるバイト、ドロ沼のはじまり

ビラ配りをする人

こう書くと随分と胡散臭い仕事に聞こえる、実際はやや胡散臭い程度のアルバイト。その内容は【繁華街でビラ配り】。ビラの内容は道行く男性に女性が接客するお店を紹介するものだった。平日は大体3時間、週末は5時間程度だった。
突っ立て適当にビラを配るだけなのでラクは出来たし、疲れたら適当に休憩を取って良かったので2人で働く時は1時間交代で休んだりもしていた。
ある日出勤時にビラを受け取りにいくと、普段はいないお偉いさんに声をかけられた、サボっているのバレて怒られるかなと内心ドキドキしていたら。
「ボーイの仕事もあるけどやる?」とのことだった。毎日可愛い女の子に会えるならぜひ!と若干くいぎみで返事をしたことは今でも覚えているし、可愛い子がいなかったのも覚えている。

おっぱぶの店長

小太りの店長はいつも羽振りがよく、僕や(可愛いくない)女の子にいつもコンビニや弁当屋で食事を買ってきてくれた。そんな店長に胃袋を掴まれていた僕は大体の言うことを聞いていた、今思えばとんでもなく安い男だ。 そんな店長が「明日の土曜日朝から暇か?」と聞いてきた、もちろん暇で恋人もいない大学生だったので「暇っす!何が食べれるですか??」と返事をしたら「小遣いをあげるからパチンコ屋にならんでくれ」と言われた。

パチンコとの出会い

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どうやらその土曜日は新装開店と言いお店に新しいパチンコ台が入る日だった、店長が言うには
・新しく入る台はよく出て儲かる
・その為には朝から並ばないといけない
・並ぶのしんどい
・代わりにお前が並んでくれ
・並んでいるだけでいい
これがまたラクなバイトだった、ビラ配りの様に人に声をかけなくてもよいし本当に立っているだけ。当時はスマホなんてなかったので小型のゲーム機でグンペイをいうゲームを遊んでいた気がする。
こんなことが数回あったのち、店長から「お前もパチンコ打ってみるか?負けたらその分俺が半分だしてやる」と。半分かよケチ臭いなと思いつつ、胃袋をガッチリ掴まれていた僕は「やってみまーす!」と返事をした。
よくある話だがその日はビギナーズラックというやつかものの数時間で3万円位勝てた、店長は結構な金額を負けていたけど僕に優しくパチンコのやり方、景品交換の仕方、交換率などなどイロハを教えてくれた。
その日は僕が店長にコンビニでおにぎりとお茶を買ったのを覚えている。

チャットとの出会い

それからもパチンコへ店長とも行ったし大学の友人も実はパチンコをしていたりと少しずつ少しずつのめり込んでいく。
当然のことだが勝ったり負けたりを繰り返していたので、少しでも勝てるようにと勝つための情報をどんどん集めていた
雑誌はもちろんのことだがインターネットも使っていた。当時のホームページも検索システムも今思えばオモチャみたいなもので、まともな情報なんて手にはいらなかった。
そんな中で行き着いたのが[P-world]という現在でもあるサイトだ、ここには全国にあるパチンコ屋さんの情報が乗っている。
そしてそこにあったのが[P-world パチンコチャット]だ。
当時はハンドルネームなんてものをしらずに本名を入力し入室した。
そこではリアルな攻略情報が飛び交っていると思いきや、ほぼ勝った負けたかただの雑談が行われていただけだったが妙にここちよく、テレホタイムになると入室して日々を消化していた。

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これが僕の「思い出のWebサービス」。


テキストでコミュニケーションを取るのをTwitter等で今も続けているのはこの体験が大きかった気がする。

 

この先の話や各種アルバイトのことは今度掘り下げてかいてみようかな。

 

そして今でも[P-world パチンコチャット]はおそらく当時のシステムのまま動いているようだ。

誰の為にあるブログなのか

Denim Vibes(デニムヴァイブス)というブログを書いているモジャくんと申します。

denim-vibes.com

洋服やブログ運営以外のこと、ちょっと思ったことなどはこちらに書いていこうと思っています。

というのも洋服を紹介するだけのつもりがアクセス欲に負けてしまい、やや雑多になってきたことを反省。

 

こちらはアクセスを気にせず書いていきたいですわ